乳がんと診断されたとき、「将来また妊娠できるだろうか」という不安は、特に若い世代の方にとって切実です。

  • 「抗がん剤を使ったら、もう子どもは持てない?」
  • 「ホルモン療法が5〜10年続くなら、その間は妊娠できない?」
  • 「妊孕性温存って、何をすればいいの?」

2024年12月、日本癌治療学会が「小児・AYA世代がん患者等の妊孕性温存に関する診療ガイドライン」を改訂しました。特に注目すべきは、ホルモン療法の一時中断による妊娠・出産について「条件付きで許容する」という方向性が、初めてガイドラインに明記されたことです。

この記事では、乳がんと妊孕性温存について、2024年ガイドラインの内容を中心に整理します。

重要:本記事は一般的な情報提供です。個別の状況は必ず主治医・生殖医療専門医にご相談ください。


乳がん治療が妊孕性に影響する理由

乳がんの主な治療は手術・放射線・薬物療法です。このうち、妊孕性(妊娠する力)に影響するのは主に薬物療法です。

治療 妊孕性への影響
手術 基本的に影響なし
放射線(乳房部分) 基本的に影響なし
抗がん剤(化学療法) 卵巣機能が低下する可能性あり
ホルモン療法 服用中は妊娠不可・治療期間は5〜10年

特に**アルキル化薬(シクロホスファミドなど)**は卵巣へのダメージが強く、若い方でも月経が止まる・閉経が早まるリスクがあります。年齢が高いほどリスクは大きくなります。

ホルモン療法(タモキシフェンなど)は薬自体が胎児に影響するため、服用中は妊娠できません。ホルモン受容体陽性の乳がんでは術後5〜10年の服用が標準で、この期間が問題になります。


妊孕性温存の方法

抗がん剤治療を始める前に、妊孕性を温存しておく方法が複数あります。

方法 対象 特徴
受精卵(胚)凍結 パートナーがいる場合 最も確立された方法。解凍後の妊娠率が高い
未受精卵子凍結 パートナーがいない場合も可能 技術の進歩で受精卵凍結に近い成果が得られるようになった
卵巣組織凍結 思春期前・治療まで時間がない場合の選択肢 採卵不要だが、後から卵巣を体に戻す手術が必要
GnRHアゴニスト 抗がん剤中の補助的手段 卵巣を一時的に休眠させる。単独での効果は限定的

⚠️ 治療開始前に相談することが大切

妊孕性温存は、抗がん剤や放射線を始める前に行う必要があります。

乳がんと診断された段階で、「将来妊娠を希望しています」と主治医に早めに伝えてください。担当医は生殖医療の専門医と連携し、がん治療の遅延を最小限にしながら温存の方法を一緒に考えます。

費用と助成制度

妊孕性温存の治療は**公的医療保険の対象外(自由診療)**です。受精卵・卵子凍結では数十万円の費用がかかることがあります。

ただし、多くの都道府県や市区町村にがん患者の妊孕性温存に対する助成制度があります。助成の条件・金額は自治体によって異なるため、**かかった病院の「がん相談支援センター」**に問い合わせるのが最も確実です。


2024年ガイドライン改訂のポイント——CQ6

日本癌治療学会の「小児・AYA世代がん患者等の妊孕性温存に関する診療ガイドライン」は2024年12月に第2版が発表されました。乳がん領域では6つのクリニカルクエスチョン(CQ)が設けられており、なかでもCQ6が最も注目されます。

CQ6:ホルモン療法の一時中断は推奨される?

問い:「挙児希望の乳がん患者に対し、妊娠・出産を目的とした内分泌(ホルモン)療法の中断は推奨されるか?」

ガイドラインの答え条件付きで許容する(弱い推奨)

これは、「5〜10年のホルモン療法の途中で一時的に中断し、妊娠・出産を試みることが選択肢になる」ことを、日本の公式ガイドラインが初めて認めた内容です。

「弱い推奨」である点は重要です。これは全員に一律に勧めるものではなく、エビデンスの強さが限られていることを正直に示しています。


この推奨を支えた研究——POSITIVE試験

CQ6の根拠となったのが、国際多施設共同試験POSITIVE試験(20カ国116施設、42歳以下、ステージI〜III、ホルモン受容体陽性)です。

内分泌療法を18〜30ヶ月受けた後に最大2年間中断し、妊娠・出産・授乳を経て治療を再開するという方法で実施されました。

最新結果(追跡期間中央値71ヶ月・2026年)

アウトカム POSITIVE群 対照群
5年乳がん無病間隔イベント率 12.3% 13.2%(差−0.9%)
5年遠隔再発無病間隔イベント率 6.2% 8.3%(差−2.1%)
生児出産 69%(440名誕生)

5年時点では、ホルモン療法を中断して妊娠・出産した群と対照群の間に有意な再発リスクの差はありませんでした

POSITIVE試験の詳しい内容や授乳の安全性については、関連記事「乳がんと妊娠・授乳」をあわせてご覧ください。


誰が候補になる?——リスク区分が重要

POSITIVE試験の参加者は主に低〜中リスクの患者さんです。再発リスクが高い場合は、別の配慮が必要です。

2026年のASCO報告(フランス・大規模研究、n=10,835)では、リスク区分によって推奨される中断のタイミングが異なることが示されました。

リスク区分 中断のタイミング 結果
低〜中リスク 18〜30ヶ月後 影響は最小限
高リスク 18〜30ヶ月後 再発リスク差+5.8%
高リスク 36〜42ヶ月以上後 影響が抑制される

高リスクとは:リンパ節転移が多い、腫瘍が大きい、グレードが高いなど、再発リスクが高いと判断された患者さんが相当します。

→ 「POSITIVE試験のデータがあるから大丈夫」ではなく、自分がどのリスク区分かを主治医と確認することが不可欠です。


現時点でわかっていないこと(冷静に理解するために)

ガイドラインで推奨されたとはいえ、現在進行中の研究段階の話です。不確かな点も正直にお伝えします。

  • 追跡期間がまだ短い:ホルモン受容体陽性乳がんは診断から10年以上経って再発することがあります。71ヶ月(約6年)の追跡では、晩期再発を捉えきれていない可能性があります
  • 参加者の選択バイアス:試験に参加できる状態の比較的元気な患者さんが多く含まれた可能性があります
  • 実臨床では治療再開率が低い:試験では73%が治療を再開しましたが、実際には約40%という報告もあります
  • エビデンスは主に1試験のみ:ガイドラインの推奨が「弱い」のはこのためです

これらの限界を理解した上で、主治医と十分に話し合うことが大切です。


実際の進め方——相談の手順

  1. 診断後、早めに主治医へ:「将来的に妊娠を希望しています」と伝える
  2. 生殖医療専門医への紹介:主治医から専門医につないでもらう。日本がん・生殖医療学会(http://www.j-sfp.org/)の認定施設が目安
  3. 妊孕性温存の方法を決める:治療開始をできるだけ遅らせない範囲で実施
  4. ホルモン療法開始後の中断は個別判断:再発リスク・治療期間・年齢をもとに主治医と相談
  5. 妊娠・出産後も:産婦人科・乳腺外科の双方でフォローを続ける

まとめ

  • 乳がん治療(特に抗がん剤)は妊孕性に影響する可能性がある
  • 治療開始前に受精卵・卵子・卵巣組織の凍結という選択肢がある。費用助成も確認を
  • 2024年ガイドラインは、ホルモン療法の一時中断による妊娠を**「条件付きで許容」**と初めて明記した(CQ6)
  • ただし推奨は「弱い」——特に高リスクの患者さんでは慎重な判断が必要
  • まず「妊娠希望があること」を診断時に主治医に伝えることが、最初の一歩

「乳がんになったから子どもは諦めるしかない」という時代は変わりつつあります。選択肢を知った上で、あなたにとっての最善を主治医と一緒に考えましょう。


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参考情報源

  • 日本癌治療学会「小児・AYA世代がん患者等の妊孕性温存に関する診療ガイドライン2024年12月改訂第2版」
  • 日本がん・生殖医療学会:http://www.j-sfp.org/
  • Partridge AH, et al. POSITIVE試験(Interrupting Endocrine Therapy to Attempt Pregnancy after Breast Cancer). N Engl J Med. 2023;388:1645-1656.
  • Pagani O, et al. Updated Results of the POSITIVE Trial. Annals of Oncology. 2026.
  • Peccatori FA, et al. Breastfeeding After Hormone Receptor-Positive Breast Cancer: Results From the POSITIVE Trial. J Clin Oncol. 2025.
  • Jochum F, et al. Optimal timing of endocrine therapy interruption for pregnancy in young women with hormone receptor-positive early breast cancer. J Clin Oncol. 2026.
  • 国立がん研究センター がん情報サービス:https://ganjoho.jp/public/cancer/breast/index.html

筆者:田舎の県庁所在地に住む医師。外科学会専門医・乳癌学会認定医。現在は乳がんの検診・診断と緩和ケアを専門に担当。医師になって20年。